「彼らは主を礼拝したが、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行った。」(17:32)
アッシリア帝国の政策は、占領した地域にいろいろな民族を移住させることによって、民族意識を低下させ、反乱の気運を下げるというものでした。
新約聖書でサマリアの人々が見下された理由は、このようにして生粋のユダヤ民族ではなくなったということでした。
もっとも、この箇所で問題になっているのは、民族主義ではなく、宗教多元主義です。
すべての神々を同じと見なすことに対する問題です。
すべての宗教が目指すものは同じという発想は、物事を単純化しすぎています。
だからといって、暴力に訴えることは間違いです。
それよりも、違いを認めて、どのように共存していくかを考える方が大切です。
自分たちで決めていくのではなく、神のみこころを求めることが大切です。