「「ああ、主よ、どうか思い出してください。私が真実と全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたの御目にかなうことを行ってきたことを。」ヒゼキヤは大声で泣いた。」(20:3)
ヒゼキヤ王は「死の備えをせよ」と言われた時に、大声で泣いて祈ったと言います。
これは死への恐怖というよりも、アッシリア軍がユダに侵攻していた頃だったからだと指摘する学者がいます。
後継者のマナセがまだ若かったので、ヒゼキヤ王はもう少し自分が生きて、統治する必要があると考えたというのです。
いずれにせよ、神は彼の涙の祈りを聞かれました。
イエス様もこの地上で涙の祈りをされたと聖書は教えます。
「キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。」(ヘブル5:7)
感情的な内容ですが、神は私たちの心も気にかけておられます。