「彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。」(25:29)
列王記の最後の章は、バビロン帝国によるエルサレムの包囲、陥落という悲劇が記されているのにも関わらず、最後は、何か希望を与えてくれます。
ネブカデネザル王の死後、エビル・メロダク王は、ユダの王エホヤキンを牢獄から釈放し、親切にし、厚遇しました。
榎本師はこの箇所に関してこんなコメントをしています。
「私たちにとって大切なことは現実を正しく把握することと共に、現実を支配したもう神を見失わないことである。そのときヒステリックな悲観主義にも、無責任な楽観主義にもなることはない。現実をしっかりと受けとめながら、それがどうあろうとも、なおそこで希望をもって生きることができるのである。」
エホヤキン王は、牢獄に入れられた時、自分の人生は終わったと思ったと思います。
しかし、神は句点を読点に変え、マイナスをプラスに変えてくださるお方です。