「むしろ私たちは、神に認められて福音を委ねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせるのではなく、私たちの心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っているのです。」(2:4)
教会は人を喜ばせるためではなく、神に喜んでいただくことを第一としなければ存在意義を失ってしまいます。
使徒パウロはそのことを人一倍注意していたようで、このように言っています。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。」(2テモテ4:2,3,4)
気をつけないと、人を喜ばせることばかり語るようになってしまう危険があります。
聖書のみことばが語られているかどうかが問われます。