ガラテヤ 1:1-10

「今、私は人々に取り入ろうとしているのでしょうか。神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、人々を喜ばせようと努めているのでしょうか。もし今なお人々を喜ばせようとしているのなら、私はキリストのしもべではありません。」(1:10)

私たちは本質的な福音メッセージを、人の歓心を買うために曲げてはいけません。

どんなに人々が拒絶しようとも、受けが悪くても、イエス・キリストの十字架の御業だけが、人を救うことができるということを伝える必要があります。

しかし、フィー教授はこう言います。

「より大きな危険は、不必要に人々が背を向けるような方法で福音を提示し、この箇所を自分の愚かさを正当化するために用いようとする誘惑である。」

要するに、「別に人の歓心を買おうとしていないから」と、教会が人々に福音を伝える工夫を怠ってしまうならば、それは悲しいことです。

「本質は一致、本質以外は多様性、すべてのことは愛をもって」です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です