「もしも不義を私が心のうちに見出すなら主は聞き入れてくださらない。」(66:18)
祈りは、自己吟味、悔い改めを伴うものです。
「もし、悪に居心地よさを感じていたならば、主は決して聞いてくださらなかっただろう。」(18節MSG)
祈りは神を自分の思い通りに動かすことではありません。
聖書は、すべての人は罪を犯していると言います。
「自分は神に立ち返る必要はない」と考えていること自体が、聖書は罪を犯している状態だと言います。
人は皆、神の力強い御手のもとでへりくだる必要があります。
私たちは皆、イエス・キリストの十字架の御業がなければ、生きることもできません。
聖書は言います。
「もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(1ヨハネ1:8,9)