「私は主の日に御霊に捕らえられ、私のうしろにラッパのような大きな声を聞いた。」(1:10)
「主の日」は日曜日です。
キリストが復活されたのが日曜日なので、日曜日を「主の日」「主日」と呼んで、キリストに礼拝をささげるようになりました。
この箇所で、主の日に聖霊に満たされて、イエス様の声を聞いたというのには、意味があると思います。
キリスト者は、できるかぎりの努力をして、主の日に礼拝を忠実に捧げることを心がけるようにということです。
週の初めの日に、主なる神を礼拝することをいい加減にしますと、信仰生活がおかしくなっていきます。
「主の日」という意識の大切さを感じます。
ヨハネはどこからキリストの声を聞いたのでしょうか。
12、13節を見ますと、燭台の真ん中から声が聞こえたと言います。
20節に燭台の意味が出ています。
それは、教会です。
キリストは、あえて、教会のただ中におられて、そこで、私たちに語られます。