黙示録 11:1-14

「第二のわざわいが過ぎ去った。見よ、第三のわざわいがすぐに来る。」(11:14)

キリストを信じている者にとっては、終わりの日は、わざわいではありません。

この章の内容は、キリストを信じる者たちがみな天に引き上げられて後に起こることです。

では、どうして自分たちはその時代に生きないのに、このような聖書の箇所を学ぶ必要があるのでしょうか。

第一に、一人でも多くの人がこの時に、この地上にいなくていいようにと、私たちを動機づけてキリストの福音を伝えるためです。

第二に、私たちはこの歴史を支配している神を体験する必要があるからです。

大患難時代に生きていなくても、私たちはこの世に生きている限り、患難があります。

しかし、大患難時代にさえ、このように関わられる神の姿を見る時に、私たちは、希望に満たされます。

どんなに混乱しているように見えても、神は生きておられ、私たちが願うならば、必ず私たちに関わってくださる神なのです。

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