「私は、火が混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣とその像とその名を示す数字に打ち勝った人々が、神の竪琴を手にしてガラスの海のほとりに立っていた。」(15:2)
「ガラスの海」とは、英語では「クリスタル」の海と訳していますように、「輝き」を意味しています。
つまり、栄光に輝く、神の臨在を指しています。
「立琴」は、ここでは賛美を意味しています。
つまり、そこでは不平不満はなく、感謝と賛美に満たされるということです。
その日、私たちの「どうして?」は消え去り、ただ、神を賛美するだけになると言います。
私たちの人生には、いろいろな「どうして?」があります。
その質問の答えを一生懸命考えても、そんなに助けにならないかもしれません。
しかし、その時、神の栄光の臨在の前に、ただ立琴を持って立っている自分に気がつくというのです。
「ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。」(1テサ5:11)