黙示録 16:1-21

「見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩き回って、恥ずかしい姿を人々に見られることのないように、目を覚まして衣を着ている者は幸いである」(16:15)

ヨハネの黙示録は、これから起こることのインフォメーションを与えるためだけに記されたわけではありません。

大地震を含むすべての災いは、その後に登場するイエス・キリストの序章です。

「キリストが再び来られる」ということを伝えるために、これらの災いは存在しています。

ここに、メッセージがあります。

「世界が揺れ動いた時こそ、わたしが現れる時です」ということです。

大患難時代、キリストは裁くためにやってきます。

しかし今、私たちが生きている恵みの時代では、キリストを信じる者のために来られます。

問題のただ中において、キリストを体験することを「臨在」と呼びます。

キリストはまずクリスマスに、この世に誕生されました。

今日は主の日。アドベント3週目。

共に主なる神に感謝と礼拝を捧げましょう!

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