「同時に、私たちのためにも、神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。この奥義のために、私は牢に入れられています。また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。」(3,4節)
奥義とは、2:2にこうあります。「キリストご自身にほかならないからです。」(LB)キリスト教とは宗教ではなく、キリストとの関係です。問題は、このキリストとの関係という奥義をはっきりと語るということです。なぜならば、いつの時代も、キリストとの関係を築き上げることを妨げようとする攻撃が存在するからです。ある牧師はこう言っています。「世の中は買い手志向だが、キリスト教会だけは売り手志向。世が求めているものは何かを知るだけでなく、福音がそれを満たすことができるという姿勢が必要。」キリストが、私たちのすべての必要に唯一答えることができるという信仰が大事です。