「イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだラザロの姉妹マルタは言った。「主よ、もう臭くなっています。四日になりますから。」」(11:39)
マルタはいわゆる常識人で、石を取りのけるとどうなるか、よく分かっていました。
ある意味、取りのける必要があったのは、「常識」だったと言えるかもしれません。
そんなマルタに、イエス様は言いました。
「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」(40節)
つまり、神の栄光を見るためには、信仰をもって取りのけなければいけない石があると言ったのです。
イエス様が取りのけるようにおっしゃられている「石」はないでしょうか。
神の栄光を見るのを邪魔している石はないでしょうか。
それは、自分の中で作ってしまっている限界かもしれません。
この国に神の御国をもたらすために、イエス様が「取りのけなさい。」と言われる石があるのではないでしょうか。
この石は、祈りなくして取りのけることはできません。