「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」(15:5)
聖書が教えていることは、自分が枝であることを認めて、幹であるキリストを認めて、キリストから力をいただくということです。
大事なのはイエス・キリストにつながることです。
栄シャロームの開拓宣教師であるモラー先生はこのように言っています。
「まず第一に、キリストご自身に、そして次にキリストのからだ全体にどのようにつながっているのかをよりよく理解するために、信徒たちが成熟する機会を得ることは良いことです。」
枝は幹からしか栄養を受け取ることができません。
イエス・キリストを信じるというのは、まさに、枝が本来の幹につながるようなものです。
今日は主の日、共に主なる神に礼拝を捧げましょう!