「イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。」(19:30)
イエス様は十字架の上で言われました。
「完了した」(19:30)
28節に、
「イエスはすべてのことが完了したのを知ると」
とありますが、聖書が私たちに教えていることは、イエス・キリストは十字架によって人間の罪の問題を解決済みにされたということです。
神はただ人を愛しているからと言って、人間の罪の問題を無かったことにすることはできませんでした。
神は神ですから、正しい裁きをゆがめることはできません。
ですからイエス・キリストは、十字架の上で、私たちの身代わりとなって正しい裁きを受けてくださる必要がありました。
多くの新興宗教は、イエス様の十字架の御業を過小評価します。
イエス様は失敗したから新興宗教の教祖が必要だと主張するのです。
しかし、イエス様の十字架の御業は完全でした。
今日は主の日、共に主なる神に礼拝を捧げましょう!