「イスラエルの子らに告げよ。男にせよ、女にせよ、他人に何か一つでも罪となることを行って主の信頼を裏切り、後になって、その人自身がその責めを覚えたときは、」(5:6)
すべての罪は神に対する罪です。
ですから、与えた損害を賠償する相手が死んでしまった場合、その賠償を受け取る親類がいなければ、神のものとなり、祭司のものとなると言います。
要するに、賠償することは、自分が行った罪を告白して償う本人のためでもあるということです。
罪はどんな罪でも私たちの心を蝕むからです。
罪を放置することは危険です。
誰も見ていない、知らないと思っても、神はご存じです。
ですから聖書は言います。
「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(1ヨハネ1:9)