「わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。」(8節)
ここで「主」と訳された言葉は、「YHWH」です。イスラエルの人々は、この神の名を呼ぶのを恐れて、この単語が出るたびに「主」と呼び直していました。イエス様の時代には、すでに旧約聖書はギリシア語に翻訳されていましたが、ギリシア語でも、「主」という意味の言葉に訳されました。興味深いことは、このギリシア語訳の聖書を読んでいた使徒パウロは、こう言います。
「すべての口が、『イエス・キリストは主(YHWH)である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」(ピリピ2:11)
つまり、イエス・キリストは「YHWH」であるが、父なる神とは別の位格(person)であると言うのです。ここに、聖書の神、「YHWH」は父、子、聖霊の三位一体の神であることが分かります。