「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(5節)
イザヤ書53章は、「苦難のしもべ」と呼ばれる箇所で、イエス・キリストの預言として新約聖書で引用されています。使徒ペテロもこの箇所を引用してこう言っています。
「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(Ⅰペテロ2:24)
LBでは4節をこう訳しています。
「ところが、彼が背負い込んだのは、実は私たちの悲しみであり、彼を押しつぶしたのは、私たちの嘆きでした。」
イエス・キリストの十字架の受難が、実は自分のためであったと認識するとき、私たちの人生は一八〇度変わります。メル・ギブソンの「パッション」(受難)の映画は、この視点から見るならば、私たちにいやしをもたらします。