「あなたがたは迷い出てしまっている。あなたがたは私をあなたがたの神、主のもとに遣わして、『私たちのために、私たちの神、主に祈り、すべて私たちの神、主の仰せられるとおりに、私たちに告げてください。私たちはそれを行ないます。』と言ったのだ。」(20節)
エルサレムに残った民は、エレミヤに
「私たちは良くても悪くても、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。私たちが私たちの神、主の御声に聞き従ってしあわせを得るためです。」(6節)
と言いました。しかし実際は、自分たちが立てた計画を承認してくれるような神の御声ではなかったので、完全に無視しました。私たちも似たようなことをしているのではないでしょうか。自分が立てた計画を認めてもらおうと神の御声を求めるのですが、自分の計画と違うと、神の御声を無視してしまう。本当に神の御声を求めているのでしょうか?