「第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで、捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。」(1節)
エゼキエルもまた、バビロンに捕囚された者の一人でした。しかし、約束の地ではない、そのバビロンの地で彼は神様の現実を体験したのです。バビロンは、ユダヤ人にとって汚れた地でした。人々の生活も乱れていました。こんな場所では、神様を体験することなどできないと思えるような地で、彼は、神様の現実を体験したのです。これは、とても大事な真理です。今日、私たちが行くどの場所でも、私たちは神様の現実を体験することができるということだからです。こんな場所と思えるような場所でさえも、神様は私たちに会ってくださるというのです。ですから、今日も、行くその場所その場所で、聖霊なる神様を歓迎しようではないでしょうか。
「主よ、今日私が訪れる、そのすべての場所に臨んでください。」