「このとき、野のすべての木は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させることを知るようになる。主であるわたしが語り、わたしが行なう。」(24節)
22‐24節は、「野のすべての木」が国々を象徴していて、終わりの時に、国々がメシヤ(若枝)の支配に服するという約束です。この約束を期待する理由は、最後の部分にあります。
「主であるわたしが語り、わたしが行なう。」
岩波訳ではこう訳しています。
「わたしヤハウェが〔これを〕語ったのである。わたしが〔これを〕実行する。」
神様が語ったならば、神様が責任をもって実行されます。神様がご自身の言葉に責任をもたれます。ですから、聖書のみことばを宣言して祈ることには意味があります。「枯れ木に芽を出させること」ができる神様は、私たちの人生にも新しいはじまりを与えることができます。どんなに未来が枯れ木のように見えても、主に期待しましょう。