「そこで、私は叫んだ。「ああ、神、主よ。彼らは私について、『彼はたとえ話をくり返している者ではないか。』と言っています。」」(49節)
エゼキエルのもとに、イスラエルの長老たちが主の御心を知ろうとしてやってきました。その彼らに対し、神様はイスラエルの人々がどれほど神様をないがしろにし、数え切れないほど裏切りを続けてきたかということを語り、その後の厳しい現実を宣告します。ところが神様の御言葉を聞きに来たはずの長老たちは、それを現実とは思わず、エゼキエルがたとえ話を繰り返し話しているとしか受け止めませんでした。御言葉をきく私たちの姿勢に対する警告であるとも受け取ることができます。真剣に語られている神様の御言葉に対して、真剣に聞く姿勢が求められるのではないでしょうか。でなければ長老たちのように、ただの「お話」で終わってしまいます。