「あなたのみだらな汚れを見て、わたしはあなたをきよめようとしたが、あなたはきよくなろうともしなかった。」(13節)
神様は私たちの人生がきよめられることを願っています。神様は泥沼のような中から私たちを引き上げ、きよめてくださるお方です。しかし、残念ながら、ある人々はまた、その泥沼に帰って行ってしまい、再び身を汚してしまいます。神様は私たちの意志を尊重されますから、その人の間違った選択に対する報いを受けることを許されます。LBでは、
「わたしはおまえをきよめようとしたが、おまえが拒んだので」
とあります。しかし、それは神様がその人を見捨てたわけではなく、その人が本当の意味で悔い改めて、変わることを願われているからです。神様は、私たちが悔い改めて、神様の助けを求めるならば、いつでも私たちを助ける準備ができています。放蕩息子を待っていた父親のように、待っておられます。