「イスラエルは多くの実を結ぶよく茂ったぶどうの木であった。多く実を結ぶにしたがって、それだけ祭壇をふやし、その地が豊かになるにしたがって、それだけ多くの美しい石の柱を立てた。」(1節)
LBではこう訳しています。
「イスラエルの繁栄ぶりの、なんとすばらしいことよ。まるで実を豊かに結んだぶどうの木のようだ。ところが、わたしが富をふやせばふやすほど、異教の神々の祭壇に多くの物が供えられる有様だ。収穫を豊かにすればするほど、それだけ多くの彫像や偶像をたてるしまつだ。」
神様は私たち一人一人に目的をもっておられます。それで、神様は私たち一人一人に賜物を与え、機会を与え、人生を祝福されます。神の目的のために用いて欲しいと願っておられるからです。しかし、イスラエルの人々は、せっかく神様が与えてくださった祝福を、神の目的のために使わず、自分たちの楽しみだけに使い、異教の神々に捧げてしまいました。
私たちはどうでしょうか?
神様の栄光のために用いているでしょうか。