「まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。『わたしを求めて生きよ。ベテルを求めるな。ギルガルに行くな。ベエル・シェバにおもむくな。ギルガルは必ず捕え移され、ベテルは無に帰するからだ。』」(4,5節)
ベテルもギルガルもベエル・シェバも、当時の偶像礼拝の中心地でした。イスラエルの人々は、まことの神を求めることよりも、目に見える偶像を参拝していました。問題は、偶像は人間が制作したものであり、制作した側の人間を制作された側の偶像は助けることができないということです。しかし人は、その代替品に満足してしまい、生けるまことの神を求めることをしませんでした。しかし、私たちのすべての必要に本当の意味で唯一答えることができるのは、生ける神イエス・キリストだけです。人にはできないことも、神にはできます。ですから、私たちは、イエス・キリストを指し示していく必要があります。イエス・キリストを求めるならば、望みがあります。