へブル 13章

「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」(15節)

神が「いけにえ」を規定されました。イスラエルの人々は、「いけにえ」を守りました。しかし、「いけにえ」は形骸化し、心が伴わないものとなりました。ダビデは罪を犯した後、悔い改めて、こんな歌を作りました。

「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51:16,17)

神は私たちの賛美を愛されますが、私たちの心からの賛美を願われます。ですから、賛美が「いけにえ」と呼ばれます。口先ではない、心からの賛美が捧げられることを、神は願っておられます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です