「エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。地上の諸氏族のうち、万軍の主である王を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。」(16,17節)
この箇所は、今の世が終わり、神の国がこの地に実現した後も、
「礼拝は継続される」
ということが記されていると言われます。興味深いことに、礼拝をするために集まりに来る努力を怠るならば、雨の降らない人生、すなわち、潤いのない人生を歩むようになると言います。どうして、聖書はそこまで集まって礼拝するように教えているのでしょうか?
それは第一に、神は私たちの礼拝を喜ばれるからです。
第二に、私たちが共に神を礼拝する時、私たちは砕かれて、謙遜になるからです。
第三に、私たちが共に礼拝を捧げるならば、キリストのからだである教会は成長するからです。敵は破られ、私たちの優先順位は整えられます。