「主の使いは、荒野の泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけ、」(7節)
聖書で一番最初に「主の使い」という言葉が登場する箇所です。多くの学者は、「受肉前のキリストではないか」と考えます。女奴隷のハガルは、あまりにも不公平で、ひどい扱いをアブラムとサライから受けます。アブラムが神の約束を自分の力で実現しようとしたからです。しかし、神は女奴隷のハガルにも目をかけられました。逃げていたハガルに目を留め、親しく、優しく声をかけた主の使いは、人を避けて寂しく疲れ果てた人生を歩んでいたサマリヤの女に声をかけられたイエス様に重なります。神はアブラハムだけでなく、すべての人を気にかけ、関わられるお方であることが分かります。私たちが不公平な扱いを受けたり、人生の荒野を一人ぼっちで歩む姿を、神は放っておくことはできません。神はエル・ロイ、ご覧になる神です。