創世記 25章

「ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。」(34節)

ヤコブのやり方は、決してほめられるようなものではありません。しかし、エサウの問題はもっと深刻でした。彼は目の前の幸福しか見えませんでした。今が幸せならどうでもいいという姿勢でした。さらに、エサウは長子の権利を軽蔑しました。神が立てられた秩序を軽視したのです。エサウの生き方は、神の祝福を失う生き方でした。新約聖書でこのように解説しています。

「エサウのように神様に無関心にならないように、よく注意しなさい。エサウは、ただ一度の食事のために、神様の祝福のしるしである、長子の権利を売りました。あとになって、後悔し、涙ながらにその権利を取り戻したいと願いましたが、遅すぎたのです。このことを、決して忘れないようにしなさい。」(ヘブル12:16,17LB)

一時の幸福のために、すべてを失ってはいけません。

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