「これはエサウ、すなわちエドムの歴史である。」(1節)
この箇所の重要なポイントは、「エサウ」は「エドム」だということです。ヘロデ王がエドム人だったということも重要ですが、この民族の存在自体が、イスラエルの歴史に密接に関係しています。旧約聖書のオバデヤ書は、エドムについての預言です。
「オバデヤの幻。神である主は、エドムについてこう仰せられる。私たちは主から知らせを聞いた。使者が国々の間に送られた。「立ち上がれ。エドムに立ち向かい戦おう。」」(1節)
エドムが裁かれる理由はこのように記されています。
「あなたの兄弟の日、その災難の日を、あなたはただ、ながめているな。ユダの子らの滅びの日に、彼らのことで喜ぶな。その苦難の日に大口を開くな。」(12節)
エサウはヤコブの兄でした。エドムはイスラエルにとって兄のような存在のはずでした。しかし、イスラエルが危機的な時、助けようとしなかったことが裁きの対象だと言います。