「それから、ヨセフを祝福して言った。「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神。きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。」(15節)
ヤコブは、ヨセフの子供たちを祝福する祈りの中で、
「きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神」
と神を呼び、祝福しました。詩篇23篇に、
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」
と記されています。ヤコブは体験からも、神が羊飼いであるならば、乏しいことはないということを知っていたので、そのように祈ったのだと思われます。イエス・キリストは言われました。
「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:11)
イエス様は、おっしゃられたように、私たちの罪のために十字架にかかり死んでくださいました。しかし、それだけではなく、イエス様は死を打ち破り、よみがえられました。今も生きておられます。私たちが願うならば、今も、イエス様は私たちの良い羊飼いとなって導いてくださいます。