「兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。」(4節)
1節をリビングバイブルではこう訳しています。
「人のあら探しをしてはいけません。自分もそうされないためです。」
自分を棚上げして相手を裁くことが、裁きの対象となることをイエス様は指摘しました。自分が出来ていないことを、他者に求めることは間違っています。他者を教えて変えようとするよりも、まず、自分を変えようと努力すべきです。ヤコブは言いました。
「私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。」(ヤコブ3:1)
自分自身を吟味せずに他者を教えようとすることは、危険なことです。まず、自分自身と向き合うことなくして、他者を教えるべきではありません。