マタイ 13章

「だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。」(29,30節)

麦か毒麦か、人が判断することはできません。私たちは、最後の審判までそのままにしておくように命じられています。すなわち、裁きは神に委ねるという姿勢が求められています。私たちは自分の善悪の基準で人を裁くことは許されていません。もし、自分の善悪で人を裁くならば、麦まで引き抜きかねません。イエス様は、「収穫の時まで放っておきなさい」と言われます。つまり、イエス様が責任をもって裁くから、放っておきなさいと言われるのです。

「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(2ペテロ3:9)

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