「それで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。」(8節)
使徒ペテロにとってこの時の出来事はあまりにも印象的だったらしく、後に手紙の中でもこう記しています。
「私たちは主イエス・キリストの力と、再び地上へ来られることについて話してきましたが、それは、うまく考え出した作り話ではありません。私はこの目で、キリスト様の輝きと栄光とを、はっきり見たのです。キリスト様が、聖なる山の上で、父なる神から誉れと栄光とを受けて輝かれた時、私はその場に居合わせました。その時、栄光にあふれる厳かな声が天から響くのを、はっきり聞いたのです。『これこそわたしの愛する子、わたしの大いなる喜び。』」(Ⅱペテロ1:16-:18)
キリストは生ける神なので、今も私たちはペテロと同じような山頂の体験をすることができます。しかしイエス様しか見えなかったように、私たちの土台は体験ではなくキリストです。