「主はモーセに仰せられた。『パロのもとに行って言え。主はこう仰せられます。『わたしの民を行かせ、彼らにわたしに仕えさせるようにせよ。』」(1節)
聖書を読みこみすぎることは危険なことです。しかし、聖書の世界の背後には、この出エジプトの出来事があります。エジプトは罪の生活の型、抑圧と束縛の肉の人生を象徴していると言われます。そのため、パロ(ファラオ)はサタンの型だと考えられます。パロはモーセに妥協案を提示しました。サタンも私たちに信仰を妥協するように迫ります。私たちは妥協してはいけない本質的な信仰の部分があります。たとえば、聖書(旧新約聖書六六巻)は誤りなき神の言葉であるということは妥協できません。イエス・キリストを自分の救い主、人生の主として心の中心にお迎えすることも、妥協できません。イエス様は言われました。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)