「パロは急いでモーセとアロンを呼び出して言った。『私は、おまえたちの神、主とおまえたちに対して罪を犯した。どうか今、もう一度だけ、私の罪を赦してくれ。おまえたちの神、主に願って、主が私から、ただこの死を取り除くようにしてくれ。」(16,17節)
パロは悔いることはしました。しかし、悔い改めることはありませんでした。悔い改めると訳される言葉は、「考え方(思考)を変える」という意味があります。パロは、悔いることはありましたが、彼の考え方を変えようとはしませんでした。イエス様は言いました。
「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)。
イエス様が私たちに望んでいることは単にパロのように悔いることではなく、考え方を変えることです。自分中心の考え方から、神中心の考え方に変えることです。自分の経験ではなく、神のみことばに土台した考え方です。