「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。」(21、22節)
神はイスラエルの人々のために、荒野の道に迂回させました。(17,18節参照)たとえ近道があったとしても、私たちにとって最善の道の方へと導かれるということです。とはいえ戦いがなくても、荒野には苦しみがあります。そもそも荒野は人が住めない所であり、見捨てられた地です。しかし、イスラエルの人々の前には、昼は雲の柱、夜は火の柱がありました。神が彼らのただ中におられて、彼らを導かれました。同じようにイエス様は言われました。
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」(ヨハネ14:16)