「彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる。わたしは彼らの神、主である。」(46節)
幕屋の存在はイスラエルの人にとって、神が近くにおられるということを意識させてくれるものでもありました。神はどこかにおられる方ではなく、
「彼らの間に住む」
ことを願われている方であることを彼らは幕屋を見上げるたびに感じていました。聖書は言います。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)
キリストも言いました。
「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです」(マタイ18:16)
使徒パウロも言いました。
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1:23)
教会の存在は、神が確かに、神の民のただ中に住んでおられることを思い起こさせます。