「モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および、主が知恵を授けられた、心に知恵のある者すべて、すなわち感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべてを、呼び寄せた。」(2節)
神のために奉仕することは、強制されてするものではなく、イエス様の御業に感動して、救われたことに感動して、自発的に行われるものです。神のためにやってあげる、教会のために仕方なくやっているというレベルの話ではなくて、神に仕えさせていただくという姿勢をもってすることが大事です。そして、主が授けてくださった賜物を用います。ある神学者は、自分が神に対する献身的な思いが薄れているように感じる時は、キリストの十字架を黙想するそうです。そして自分の心にこう言い聞かせるそうです。
「これらはみな、私のためにしてくださった」と。「イエス様、あなたの十字架を覚え、あなたの愛に迫られ生きていけますように。」