「イスラエル人は、すべて、主がモーセに命じられたとおりに、そのすべての奉仕を行なった。」(42節)
私たちは、どうしても自分のやり方でしたいという気持ちがあります。しかし聖書は、神が命じられているように従順して行うことの大切さを語っています。指導者に盲目的に従順するという意味ではなく、具体的に神が命じられていることは聖書の中に記されていますから、聖書のみことばに従順するということです。これは、信仰生活で大切な部分でもあります。自分のやり方を通すか、神のやり方に従順するか、それは、自分が神になるか、神が神になるか、自分が主導権を握るか、神が主導権を握るか、信仰生活の根本的な問題でもあります。神が命じられた通り、私たちは祈り、賛美し、教会に集い礼拝します。これこそ、神を神とする私たちの根本的な信仰姿勢につながるものでもあります。