「主の恵みの年を告げ知らせるために。」(19節)
イエス様が故郷のナザレの会堂で開かれた箇所はイザヤ61章でした。
「神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、」(1、2節)
ローマ帝国の支配下にあった当時のイスラエルの人々にとってみれば、
「神の復讐の日を告げ」
という部分は大切な一節だったと思います。
しかし、イエス様はあえてその手前で
「書を巻き、係の者に渡してすわられた。」(20節)
と聖書は言います。
イエス様のメッセージは、復讐の日のメッセージではなく、恵みの年のメッセージでした。
だから聖書は言います。
「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(Ⅱコリント6:2)
「あなたの恵みのメッセージを語り続けられますように。」