「そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返してきて、イエスの足元にひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。」(15節)
たった一人、しかもサマリヤ人。
十人もの人が一度に癒されたにもかかわらず、イエス様の下に感謝をささげに来たのは前述のとおりでした。こんなにも大きな御業を目の当たりにしたのに。なんという恩知らず。わたしたちはそのように感じてしまうのではないでしょうか。しかし、良く思い返してみてください。祈りが応えられたときに、私たちは神様に感謝を捧げていますか。栄光を主に帰しているでしょうか。自分が頑張ったから、もしくはラッキーという言葉で本当は神様がしてくださっていることを無視してはいないでしょうか。今日、生かされていることに感謝しているでしょうか。偶然、ラッキーに生きているのではなく、神様が生かして下さっているから今日という日があるのです。