「さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。」(1,2節)
聖なることに携わる時は、畏れをもってする必要があります。どんなに教会の敷居を低くしたとしても、聖なることに対する畏れを忘れてサークルのようになってしまうならば、神はそのような教会を祝福されることはありません。そのように異なった火を捧げるような働き人を、神は裁かれずにおられることはありません。神は恵み深いお方ですが、同時に聖なるお方です。私たちはそのことをしっかりと受け止めて、聖なる畏れをもって神に仕える必要があります。
「聖なる主よ、聖なる畏れをもってあなたに仕えていくことができますように。」