「ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。」(7節)
放蕩息子は、子供でなくても、お父さんの使用人の一人であったとしても幸せだということに気づきました。すばらしい主人に仕えることができる奴隷は幸せです。ですから、私たちは神の奴隷でも幸せです。しかし、キリストを信じる者は、奴隷ではなく、子としてくださると言うのです。「神の子」というアイデンティティは、私たちの人生を変えます。神の子として、その特権に感謝して生きているでしょうか?神の子として、その意識をもって一日一日を尊厳をもって生きているでしょうか?何よりも、神の子として、神様を「お父さん」と呼ぶことができるとは、何とすばらしい祝福でしょうか!「天のお父様、イエス様の十字架の御業のゆえに、私を子供としてくださったことを感謝します。神の子としてあなたに喜ばれる生き方ができますように。」