レビ記 16章

「主はモーセに仰せられた。「あなたの兄アロンに告げよ。かってな時に垂れ幕の内側の聖所にはいって、箱の上の『贖いのふた』の前に行ってはならない。死ぬことのないためである。わたしが『贖いのふた』の上の雲の中に現われるからである。」(2節)

聖なる神が現れる時、罪ある人はその前で死んでしまいます。ですから大祭司であっても、自分のためにいけにえを捧げて、様々な規定にしたがって、聖所に入る必要がありました。しかし、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかかり死んでくださった時、

「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。」(マルコ15:38)

とあります。今、イエスの十字架の御業のゆえに聖書は言います。

「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル4:16)

今日は主の日。イエス様の十字架の御業を感謝しつつ、礼拝を捧げましょう。

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