「また、人が特別の誓願を果たすため、あるいは進んでささげるささげ物として、牛か羊の中から和解のいけにえを主にささげるときは、それが受け入れられるためには傷のないものでなければならない。それにはどのような欠陥もあってはならない。」(21節)
いけにえをささげるときに、神は傷のないものでなければいけないと言われました。そのように言わなければ、人が残り物や、どうでもいいものを捧げるという傾向があることを知っていたからだと思われます。神はアクセサリーではなく、王の王、主の主なる偉大なる神です。もっとも、究極的に傷のないものとは何でしょうか。それは、イエス・キリストです。イエス・キリストという完全ないけにえを通してのみ、人は神に近づくことができます。イエス様は言われました。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)