ヨハネ 2章

「宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、― しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。 ―」(9節)

奉仕することの素晴らしさは、奉仕した者だけが知ることができる世界があるということです。クリスチャンは皆、奉仕者です。講壇の上に立つ人だけが奉仕者ではありません。人に気づかれないような、水をくむような奉仕が教会にはあります。誰にも評価されないように感じる奉仕であっても、奉仕をしたものでなければ分からない世界があります。もっとも、この箇所の水をくんだしもべたちは、どうして、イエス様が水がめに水を満たすように言われたかは分からなかったと思います。しかし、みことばに従って行動した時、水がぶどう酒に変わるという奇跡を体験しました。今はたとえ分からなくても、みことばに従って、主イエス・キリストのからだである教会に仕えていくことができますように。

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