「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」(9節)
この世は完全でもなければ、天国でもありませんので、時には、善を行うことが馬鹿らしく感じてしまう時があると思います。周囲を見て、良いことを行う自分が損をしていると感じる時もあると思います。もちろん、私たちは見返りを求めて善を行うわけではありません。神の国の国民として、神が善であり、善を行われるがゆえに、私たちも善を行うように努めます。しかし、それだけではなく、失望せずにいれば、収穫する時が来ると言います。「あきらめないこと。やめないこと。」
神は私たちの善行をすべて記録しています。人は善行でなく、キリストの十字架によって救われます。しかし、誰も気づいていなくても、あなたが捧げたこと、助けたこと、神はご覧になっておられ、必ず報いられます。「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。」(使徒10:4)