民数記 28章

「イスラエル人に命じて彼らに言え。あなたがたは、わたしへのなだめのかおりの火によるささげ物として、わたしへの食物のささげ物を、定められた時に、気をつけてわたしにささげなければならない。」(2節)

約束の地を前にして、神はイスラエルの人々に再度ささげ物を命じています。それほど人というのは神にささげるという意識を与えられる必要があるということかもしれません。しかし、形式的にささげていればそれでいいというわけでもありません。ダビデは言いました。

「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51:16,17)

神が本当に求めているのは私たちの心であり、その心の現われとしてささげ物があります。

今日は洗足木曜日。最後の晩餐を覚えましょう。

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