「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。」(2節)
28章は祝福とのろいの箇所です。祝福の道も、のろいの道も、私たちが選び取るものだと聖書は言います。呪いに関して聖書は次のように記しています。
「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。」(ガラテヤ3:13)
榎本師はこう言います。
「イエス・キリストの十字架はのろいからの救いであるということである。のろいから救われたからといって、それで祝福の世に生きているということにはならない。(中略)神がキリストにより私たちに豊かな祝福を得ることができるようにしてくださったがゆえに、私たちはみ言葉への聴従に徹するべきなのである。」
祝福の道は、聖書のみことばに生きる(聴従)姿勢を選ぶことにあります。