「するとパウロは、『あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。』と答えた。」(13節)
当時のキリスト教会にとって使徒パウロの異邦人伝道の働きは、さらに発展が見込めるものでした。ところがパウロは、もっとも危険な場所、エルサレムに行こうとしていました。ですから仲間たちはパウロを止めようとしました。
「どうして、エルサレムに行こうとするのですか?教会はあなたを必要としているではないですか。あなたを歓迎する場所があるのに、どうして、あなたに危害を加えようとしている人たちのところに行こうとするのですか?」
パウロは言います。
「問題は彼らが私に何をするかではない。私の主、イエスが、私の従順を通して何をなされるかだ。」
私たちはパウロのような、状況でなく神を中心とした視点が必要です。